今日もまた、京都市北区衣笠の葺き替え工事の現場でがんばってきました。夕日が落ちるのがずいぶん遅くなったので、一日の作業後の片付けが、気持ち的に少し楽ですね。
さて、夕暮れの京都の街を、衣笠から八瀬まで帰るわけですが、ほぼ、北大路通を東西に走り抜けるんですね。東に向かってひたすら走って、高野川沿いの川端通で北に方向転換し、八瀬へと走ります。
今日はその高野川沿いの桜の花が満開で、とてもきれいでした。車を走らせながら写真を撮るわけにも行かないのでお見せできませんが、ちょうど北大路から北山通までの高野川は、今がまさに満開でしたよ。その満開の桜並木が、夕暮れの比叡山の方向に向かって延びている様は、本当に心癒されるものがありました。
さて、桜の花と比叡山と言えば、産經新聞の記事で知ったのですが、太平洋戦争末期、本土決戦の時に大阪湾の防衛を担うための特攻隊の基地が、比叡山の山頂にあったという事です。地元ながら、まったく知りませんでした。
記事によると、まさに終戦の日の8月15日に、完成した基地なのだそうです。ですから、実際にここから飛行機が飛び立った事はなかったそうですが…。
ここから飛び立つ予定だった飛行機が、「桜花」と呼ばれる、特攻機だったそうです。
今、比叡山のふもとで桜の花に癒されているこの瞬間は、64年前のその瞬間からずっと続いて来ている歴史の一ページなんですね。歴史の評価は、人によりその立ち位置により千差万別にあるのでしょうが、時の流れがずっと続いている事だけは、誰も否定することはできないでしょう。そしてそれは、これから先もそうなのです。
どうか、人々を癒す桜の花が、これからも平和に咲く世の中であってほしいなと思います。
本日はありがとうございました。
このお話は97艦攻の元パイロットの方に聞いた事があります。
桜花は1㌧程の弾頭にロケットを付けたような人間爆弾です、基地の設営前には弾頭と動力のないグライダーのような状態で滑空による訓練が行われていました。(山頂に戻すときは坂本ケーブルを使用)
琵琶湖に向かって滑空するのですが、どのようにして曳航していたのか定かではありませんが、これを曳航していたのが零戦63型でした、この型は零戦でも後期に作られた比較的珍しいもので、戦闘爆撃型でした。
この内の一機が琵琶湖に墜落して、後の昭和53年頃引き揚げ、修復され
嵐山の嵐山美術館に展示されていました。
嵐山美術館閉館に伴い和歌山のゼロパークへ移り、現在は呉の大和ミュージアムに展示されています。(表記は64型?)
大変なご苦労をされ国防にあたられた英霊のご冥福を祈念します。
団員さん、ありがとうございます。
過去の歴史があって、初めて、今私たちが生きているんですよね。
良いことも悪いこともすべてひっくるめてですね。
それから、餃子、おいしかったです。(^^)
ありがとうございました。